2010年2月16日火曜日

de-constructionとre-construction

 以前、『島耕作』に、「私は、de-constructionを行った。次の社長はre-constructionを行わなければならない」(正確な表現ではないのですが)という言葉があったかと。

 最近、この言葉をよく思い出すことがあって。

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 ある組織で変革がなされようとしています。その中で大きなde-が生じました。ですが、re-しようとすることが出来ないでいます。

 このことに対して少々イラっとしている人がいます。re-できないこともそうですが、de-した人々がそのことに対し責任をとらないことに対してです。

 その人はこのように思っています。

 何らかのことを行った場合、それに対する責任を負うことが必要かと。responsibilityという言葉があるように。

 それを考えず、相手を批判したり、re-しようとする人を否定したりすることが果たして生産的なことなのでしょうか。

 「結局、誰も責任をとらず、批評家だけが残ってしまいました」となるのでしょうかね。しかも信念をもって、そして自分が行っていることだけが正しいと思っているとすれば・・・。

 意外なところに問題点はあるものだ、と。

 さて、re-することは出来るのでしょうか。

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追伸
 ちなみに島耕作で、「清濁併せ呑む」という言葉もあったかと。聖人なんているはずないんですからね。

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