2009年2月9日月曜日

沖縄県立美術館(2008/04/20)

土曜日に沖縄県立美術館に行ってきました。

 美術館は、DFS、日本銀行、県や市庁舎が存在する「おもろまち」に位置しており、2007年11月に開館したとても新しい建物。博物館も併設されており、約17,000年前から現在までの沖縄の歴史、そして芸術について一挙に知ることができる施設なんですわ。外観も、沖縄本島中部にある座喜味城をモデルとしてデザインされていて、ビルやショッピングセンターなどが数多く存在する新都心ではなかなか雰囲気を醸し出しています。まだ入館していない人は一度行ってみては?








 ところで、館内の資料などを見ていて驚いたことがあったんだけど、沖縄県では2007年まで県立の美術館を保有していなかったとのこと。確かに沖縄県の財政状況は厳しく、現にこの博物館・美術館も構想から建設段階にかけて財政難で一度凍結の憂き目に出会っているけれども、それにしても何故?と思ってしまう。でも、どうやらそこにはいろいろな背景があるみたいなんだわ。

 第一には、「鉄の暴風(rain and storm of the iron)」と呼ばれる沖縄戦での激しい砲艦射撃や地上戦による焼失。沖縄における地上戦の凄まじさ、悲惨さに関しては、実際に体験した人からの口伝や各種資料などによって知っているかと思うんだけど、芸術作品も同様に悲惨な状況になっていたんだ。そのため、作者やそのパトロンたちが疎開地に非難させた極めて少数の作品以外は、灰燼に帰してしまったという。だから、20世紀前半以前の作品が極めて少なく、設立しても常設作品に困ってしまうってことがあったんじゃないかな。

 第二に、戦後の沖縄の芸術を取り巻く環境というのも大いに影響している。戦後、沖縄の芸術家、特に画家はアメリカ軍(琉球政府)に雇用されることになり、一部の画家は非常に恵まれた環境で創作活動に携わることができたのだけど、そこでは主に軍関係の絵を描くことになったんだわ(肖像画やグリーティングカードなどね)。優秀な画家の背後には、パトロンが存在しているというのは半ば常識だけど、その反面、パトロンの要望に対して最大限貢献することも同時に求められる。沖縄の場合も同じようで、求めに応じて画家は描いたり、描かされていたりしていたみたい。そのため、純粋な芸術活動に携わることが出来なかったらしい。また、庇護を受けたごく少数の作者による作品にとどまっているという状況であった。
(※ただ、その庇護を受けた画家も数年で免職となり、その後、ニシムイという芸術家コロニーを形成するんだけどね)

 第三の原因としては、海外流出というのが挙げられる。美とは富めるもののところに留まる、という言葉を以前に聞いたことがあるけど、戦後、沖縄美術の収集家は主にアメリカ人だった。そのため、沖縄に留まっている作品は少なかったようで、国内外に流れて行ってしまったみたい(だから、海外に流失している沖縄の画家の作品も結構多いんですわ)。

 このように沖縄ならではの特殊事情があって昨年まで存在していなかった県立美術館なんだけど、収蔵品には意外と興味深いものなどもあり、なかなか楽しめますよ。

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