2008年8月20日水曜日

理論の語り

 昨日、大学院時代の友人Uと電話で話した。彼は組織の戦略を主に研究しているのだが、考え方に共通することが多いので、よく研究の話をする(しょーもない話もよくするんだけど・・・苦笑)。

 昨日もいろいろと話をしたのだが、その中で深く頷いたことが。

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 僕(高木)は、企業などの組織の組織的行為を、行為それ自体のみならず、その背景に存在している文脈も対象に入れて読み解き、行為にいたるプロセスを記述している/しようとしている。もちろん、その文脈はあまりにも深淵だから、どんなにthick descriptionであったとしても、全てを示すことは難しいことは理解している。ただ、全てを書くことはできないから、書かないという考えではなく、少なくとも書ける限り示していこうというスタンスで研究に携わっている。

 というように考えているんです。まあ、おそらく、Uもそういうスタンスだと思うんだけど(これを読んでいて、おいおい違うぞと思ったらコメントくださいな)。で、そういう二人(Uと僕ね)が、昨日、電話をしていて、その中でUが「でもさ、戦略論、とくに日本で言われている戦略論って、理論自体にバイアスかかっているよね」って言うんです。

 例えば、「○○の理論は・・・を前提としているから、××になるでしょ。でも一方で、同じ事象にもかかわらず、□□は△△って言っているわけ。これっておかしくない??」というようなこと言うんですわ(正確な発言ではありませんが)。

 フムフム、これは面白い。重要なことですよね。
 さすがU!!

 つまり、恣意的にどこかに境界線を引いているわけですよね。これは、社会学、特に社会構成主義でよく言われていた/いるOGの問題とも絡まっていますね。

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 ・・・・まあ、この話の続きは11月22日に開催されるシンポジウム@沖縄大学(タイトル「組織におけるナラティブ(語り)」)で、Uが問題提起してくれるので内緒ということで。




えっ!?







 ・・・「おいおい、オチなしかよ!」というお怒りはごもっともなので、このことをちょっと他の視点から考えて見ましょう。

 3段落目で書かれていたことを思い出してください。僕たち研究者は、価値中立的に存在し、ありのままに記述していると思われがちですが、僕たち自体、バイアスがかかった(僕たちが存立するコミュニティに参加している)状況なんですよね。したがって、どう足掻いても、そこから離れることはできないわけです。つまり、ありのまま見て書くなんて不可能なんです。

 じゃあ、どうすればいいのと言われたら、3つの方向性が存在し、そのうちの一方を選ぶしかないと言うしかないですね。第1は、ありのままに記述するのは無理だから書くのをやめる。第2は、「それは無かったこと」にして、自分が見て書いたことを事実とする。そして最後は、バイアスがかかるのは仕方が無い、でもそれが存在することとして常に内省的に記述する。

 僕は、3つ目。

 だから、3段落目の文章をより正確に示すならば、「さらに自身が理論汚染されているがゆえにその現象を正確に読み解くことができるかも難しい。」という文章を入れる必要があるでしょう。

 まあ、こんなことは社会学などで以前から言われてきたことなのですが、友人の話を聞いているうちに、大学院時代を思い出しました。大学院時代、ガッツリ読んだ方法論の論文などに影響され、一時、「僕は何にも書けないんじゃないの・・・」と落ち込んだ時を思い出しました。

追伸
 でも、そもそも、経営学の組織論と戦略論という非常に近い分野を研究している二人にもかかわらず、戦略論においては上述のような背反する議論が最近示されるようになり、一方で、組織論では一部の人を除いて、もう終わったような感があります。それはそれで不思議ですね。

 これもシンポジウムのネタになるかも。

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